楽しく走ってステップアップ

今年こそジョギングをはじめよう!ジョグノートなら記録管理もカンタン

著者紹介

鍋倉賢治

鍋倉賢治

1963年生まれ。1991年 筑波大学大学院博士課程体育科学研究科修了・教育学博士。

現在、筑波大学体育系(体育センター)教授 ランニング学会常務理事を務める。専門は健康体力学、マラソン学。

モットーは「楽しく追い込む」。マラソンベスト記録は2時間29分09秒。

走るなら食べよう!~体は必ず変わります~

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日本長距離・マラソン界の30年の成長と停滞 日本長距離・マラソン界の30年の成長と停滞

ニューイヤー駅伝、箱根駅伝と正月の風物詩である2大駅伝をTVで楽しんだ方は多いのではないでしょうか。箱根では、下馬評には全く上がらなかった日本体育大学が30年ぶりの総合優勝を果たすという、筋書きのないスポーツ本来の醍醐味を味わいました。駅伝の功罪については、以前にもコラムで触れましたが、今回は日本長距離界のこの30年近くの軌跡をトップの記録から振り返ってみたいと思います。

10000mの記録の変遷

図1は、日本と世界における10000mの年間ランキング上位者(男子)の記録を1979年(モスクワ五輪の前年)から4年毎に示しています。実線がランキング1位の記録、同様に点線は日本ランク100位と世界ランク50位の記録となっています。

ジョギング

10000mに関しては、日本ランク1位の記録は、30年以上前からほとんど伸びていません。世界ランク1位もこの10年やや頭打ちとなってはいますが、その結果、1980年代には世界と日本のトップの差は10~20秒程度であったのが、現在は1分以上に差が開いています。一方、日本ランク100位の記録はこの30年間で1分30秒近く伸び、力のあるランナーが増えてきていると言えます。

マラソンの記録の変遷

マラソンの記録の推移をみると(図2)、世界ランク1位の記録は年々向上し続けています。それに対して、日本のトップはやや向上しているものの、全体的には10000mと同様に1980年代とほとんど変わらないのが実情です。さらに、ランキング100位に関しても、この20年ほとんど伸びていないことが分かります。

ジョギング 後半を読む

日本マラソン黄金期

1980年代は日本マラソンの黄金期で、宗兄弟、瀬古さん、中山さんとワクワクするメンバーがそろい、日本のトップはすなわち世界のトップであるような状況が10年近くにわたり続きました。五輪チャンピオンが生まれなかったのが不思議なくらいの充実ぶりです。そして、その頃の日本選手は、マラソンランナーであっても皆、夏場のシーズンにはヨーロッパに遠征し、10000mでも世界に伍して戦っていました。

駅伝が選手層を厚くした?

ジョギング

昨今は、マラソンランナーとトラックランナーは分業制と思われるぐらい明確に分かれており、そのどちらも取り組むのが中間距離の駅伝、という構図になっています。箱根駅伝を筆頭にした日本の駅伝人気は、チームの存続や選手のモチベーションを高め、選手層の厚さにつながったことは明白で、その成果として10000mの日本ランク100位の記録の向上が物語っていると思います。一方、世界に通用するランナーが育たず、日本人トップが世界ランク50位に入れない時代になって来たのも紛れもない事実です。同時にマラソンでは、ランク100位の記録も停滞し、底上げもされていないことを示唆しています。

もっと走れるはず

100位の記録を選手層の厚さのバロメーターと考えると、10000mの記録の伸びがマラソンの記録の伸びに結びついていないと言えます。これは、先に述べたように分業制の代償で、駅伝を軸にして競技スケジュールを組んでいる選手(チーム)が多くなっていることと無縁ではないでしょう。このことだけで、駅伝の弊害を叫ぶつもりはありません。むしろ、もっとやれるはずだと、僕は言いたいのです。10000mの記録から考えれば、2時間10~15分で走る選手の層がもっともっと厚くなるはずです。選手層の底上げがなされれば、トップもまた伸びるのではないでしょうか?オリンピック翌年にあたる2013年は、新たな新星が現れることを期待したいと思います。

(文:鍋倉賢治 イラスト:後藤徳一郎)

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